Masuk確かに目を引く美人だ。スラッと背も高くスタイルもいい。アイドルやモデルと言われても納得してしまうほどの美貌を備えていた。そして、悔しいことに弓の腕前も相当なものだった。
聞けば加護と同じ中学から弓をやっているにも関わらず、その実力の差はもう埋められないほどに開いていた。
これまで平等に注がれていた森久保の視線は、古塚美月一人に注がれるようになった。共同練習のときは顕著で、森久保は古塚美月の指導ばかりをしようとする。
古塚美月に群がる馬鹿な男どもとは違うが、加護にとっては同じことだった。
(なのにあの女は、気にも留めない。悠人に見つめられているのに、恥じらいも戸惑いも何もなく平然としている)
──あの女は、悠人から好かれることを当たり前だと思っているんだ。
メッセージアプリを閉じると、次に加護はSNSを開いた。
数日前に上げた自分の投稿を見る。
〈永久に先悠人をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても〉
* 加護と森久保が駅を出たときには辺りはもう夜の闇に包まれていた。1羽の烏《カラス》が耳障りな声で鳴き、翼を広げてどこかへと飛んでいく。急に目の前を飛び去った烏に加護は声を上げて驚きその場で転んでしまった。
「大丈夫!?」
「う……うん、大丈夫」
差し出された手をつかむ。がっしりとした、しかし手のひらの温かい感触が伝わり急に恥ずかしくなった。
「あっ、ごめん……」
相手も同じだったのか、森久保の声が上擦る。支えられながら立ち上がると、温かい感触が離れていく。
メッセージを送ったあとにスポーツショップへと向かった二人は、目的の物を購入したあともすぐに解散せずにゲームセンターやカフェなどで共に同じ時間を過ごし、遅くなってしまったからと森久保が加護の家まで送り届ける途中だった。
中心部から離れた駅では出口から出てくる利用者も少なく、人通りもまばらだった。二人は肩を並べて残り僅かな時間を惜しむようにゆっくりと歩いていく。
暗がりを照らす古い街灯がジジジ、と音を立てている。
静かだった。喧騒に包まれた街中も好きだったが、今は森久保の息遣いが聞こえてきそうなこの静けさが心地よかった。息遣いだけではない、この距離ではもしかしたら早鐘を打つ心臓の音も聞こえてしまいそうだった。
加護は、思わず胸元を手で抑えた。
「……なんか、不思議だったんだよな」
前を向く森久保の形の良い口が言葉を紡いだ。
「弓袋が破れてさ、どうしよーって思ったらなぜか彩乃のことが頭に浮かんでさ。同じ弓道部だけど、正直なところ、今までただのクラスメートだと思ってたからさ」
ちらりとこちらに涼しげな目が向いた。森久保が微笑むだけで、体が硬直してしまいどうしたらいいのかわからなくなる。
(今まで? ──じゃあ、今は?)
その先を期待してしまう。今日は本当に時間を忘れるくらい楽しかった。ショッピングもゲームセンターもカフェも、後輩や友達と何度だって行ったことがある。それなのにそのどれもが鮮やかなくらいに新鮮だった。
森久保の目がまた前を向き、口が開く。その口が何を言うのか、加護はじっと見入ってしまっていた。
「彩乃のことが頭に浮かんだとき、なんていうか、こう、すぐに連絡したくなったんだ。そうしたら彩乃から一緒に買い物に行ってくれるってメッセージが送られてきてさ。……正直、嬉しかった」
名前を呼ばれるときも、加護と呼ばれるのがノーマルだった。下の名前で呼ばれたのはついさっきだ。彩乃、彩乃、もっとそう呼んでほしいと願ってしまう。
特別だった。何もかもが。森久保の口から出る言葉は全てが美しく聞こえた。ずっと眺めることしかできなかった美しいフォームの彼が、今は自分の横に、目の前にいる。手を伸ばせばすぐに届きそうな距離にいる。
「……彩乃」
急に立ち止まった森久保の顔が正面を向いた。そして、加護が胸元に置いたままの手をもう一度つかんでくれる。
「急で驚くかもしれないけど、俺──」
微かな街灯が彼の顔を照らす。ほのかに赤い頬はこの先の展開を暗示しているようで、加護の鼓動をさらに乱れさせた。
躊躇いがちに一度閉ざされた唇が、柔らかそうな唇が開いた。
突然街灯が消えて、辺りは静寂という名の闇に覆われた。
──手を伸ばす。視線の先では母親と兄が手をつないでいて、自分もそこへ加わりたかった。駆けて、走って。どんなに近づこうとしても永遠に届かないそんな気がした。 諦めてうなだれて、地べたに座り込んで横になって。大声で泣く。 慌てて駆けてきた兄は心配そうに手を伸ばしてくれたが、その手をつかむ前に母親がまた兄の手をつないだ。 顔を上げれば母親はどこか何か遠くを見ていた。視線は自分をすり抜けて、ありもしない何かを見ている。 伸ばした手に気がつくことなく、母親は兄を連れて先を行く。もう片方の手は煤《すす》を被ったような真っ黒な手が引っ張っていた。手だけではない気がつけばいつの間にか無数の黒い手が母親の身体を取り囲んでいた。 全身が震える。口が大きく開く、息を吸い、口から──。* 幼い自分の悲鳴が遠くに聞こえた気がして、美月は目を開いた。(……夢……?) スマホのアラームが鳴っていた。少しでも目覚めを良くしようと思って選んだ小鳥の囀りだ。慣れた手付きでアラームを止めると、まだ眠い目を擦った。 指に何かが付着した。(涙……?) 泣いていたことに気がつくと同時に半分まだ夢の中にいた頭がゆっくりと動き始める。 美月の兄、弓弦《ゆずる》は何日か前から母親と一緒に田舎へと帰っていた。理由はわからない。美月の母親は気まぐれで、突然思い立っては有無を言わさず兄と二人でどこかへ行くことが多かった。今回は兄が18歳の誕生日を迎えたその日に、急に田舎に帰ると言い出して身支度を始め、本当に次の日の早朝にはいなくなっていた。 美月は何度か寝返りを打つと、ベッドに潜り込んだままスマホをいじり始めた。寝ている間の通知を確認したあとメッセージアプリを開くと、笑顔の兄のアイコンをタップした。(まだ返事は来てない。既読もついてないし……私が送ったのが3日前だから、兄さんが田舎に帰ったのも3日前か) 額に伸ばした腕を当てる。目を瞑って今見ていた夢の内容を思い出そうとするも、霞《かすみ》のようにほとんど思い出せなかった。 母親から連絡がないのはいつものことだが、兄から3日も連絡がないのはおそらく初めてのことだった。(それに、昨日乃愛に見せられた……なんだっけ? ……「白無垢の恋唄」……あれのせいだ) よくないもの、と直感的に感じてしまったからか妙に頭に引っかかり、昨夜寝る直前も
「あっ、あれ?」 二人して真っ暗闇の空を見上げる。「電気が消えたのか? こんなときに」 老朽化した電灯が消えた。それはよくあることかもしれない。「……ゆ、悠人。ち、違う」「違う? ……えっ、なんで?」 森久保はキョロキョロと周囲を見回す。老朽化した電灯が消えるのはありえる話だが、全ての電灯が同時に消えるのはありえない。 加護はつかまれたままの森久保の手を握った。「なに? どういうこと? 一体何が起こって──」 どこかから足音がした。真暗闇の中に密やかに。ただしはっきりと。普通の足音ではない、と加護は震える耳の奥で感じ取っていた。擦れるような音、地面を擦るような足音が次第次第に近づいてくるような気がする。 震えていた。確かに加護の体は震えていた。 ──ただの足音だ。いくら人気が少ないと言っても全く人が通らないような獣道でもない。普通の公道。駅から住宅街へと繋がるどこの街にもあるような何の変哲もない一本道。 そう意識が働くものの、体は真逆に震えている。初めて弓を射ったときの感覚に似ている気がした。頭では順序通りやればいいとわかっているのに、体が指先がどうしようもなく震えてしまう。 その根源は、恐怖だ。「に、逃げろ! 彩乃!」 森久保の声が弾けた。腕が思い切り引っ張られる。前を向く前に視界の隅に捉えたのは、白い、白い何かだった。 二人は懸命に走る。後ろを振り向くこともせず、立ち止まることもなくひたすらにがむしゃらに足を動かしていた。(おかしい) 暗闇はどこまでも続いている気がした。森久保の肩口から見える先も街灯のあかりはついていない。ここまで真っ暗だとしたら、停電でも起こったと考える方が自然だ、と加護は頭を巡らせた。 だが、それを口に出すことは憚《はばか》れた。わかっている。ただの偶然だ。急に暗闇になったことも、烏《からす》が羽ばたいたことも、不気味な足音も、白い光も全部が偶然か見間違い。その可能性の方が大きい。というよりも、きっとそれが真実のはずだ。 なのに、そうじゃないと体が否定する。森久保の手から離されないようにと全速力で走っているにも関わらず、全く熱くはならず鳥肌が立つほど凍える体が、現実に基づいた事実と真実を否定する。否定というよりも、それはもはや拒絶だった。 初めて見る必死の形相で走る森久保の息が荒くなっている。加護自
確かに目を引く美人だ。スラッと背も高くスタイルもいい。アイドルやモデルと言われても納得してしまうほどの美貌を備えていた。そして、悔しいことに弓の腕前も相当なものだった。 聞けば加護と同じ中学から弓をやっているにも関わらず、その実力の差はもう埋められないほどに開いていた。 これまで平等に注がれていた森久保の視線は、古塚美月一人に注がれるようになった。共同練習のときは顕著で、森久保は古塚美月の指導ばかりをしようとする。 古塚美月に群がる馬鹿な男どもとは違うが、加護にとっては同じことだった。(なのにあの女は、気にも留めない。悠人に見つめられているのに、恥じらいも戸惑いも何もなく平然としている) ──あの女は、悠人から好かれることを当たり前だと思っているんだ。 メッセージアプリを閉じると、次に加護はSNSを開いた。 数日前に上げた自分の投稿を見る。〈永久に先悠人をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても〉* 加護と森久保が駅を出たときには辺りはもう夜の闇に包まれていた。 1羽の烏《カラス》が耳障りな声で鳴き、翼を広げてどこかへと飛んでいく。急に目の前を飛び去った烏に加護は声を上げて驚きその場で転んでしまった。「大丈夫!?」「う……うん、大丈夫」 差し出された手をつかむ。がっしりとした、しかし手のひらの温かい感触が伝わり急に恥ずかしくなった。「あっ、ごめん……」 相手も同じだったのか、森久保の声が上擦る。支えられながら立ち上がると、温かい感触が離れていく。
弓道部の部活が終わり、いつものように加護《かご》彩乃《あやの》は仲のいい部員と他愛もない話をしたあと、ファストフードのお店を出た。「お疲れ様でした彩先輩!」「お疲れ様〜」 1年後輩の2年生二人と手を振って別れると、加護は頬を緩めながらそわそわと早足で歩き出す。 時間としては午後5時過ぎ。日はもう傾いてきており、辺りは真っ赤な夕暮れに染まっていた。 後輩たちからだいぶ離れたところで後ろを振り返ると、加護は近くにあった自販機の横に立ち止まり、制服のスカートからスマホを取り出した。 透明感、ガラス感があるオフホワイトのスマホの画面を開き、メッセージアプリを開く。トップに表示されている森《もり》久保《くぼ》悠人《ゆうと》の名前を見るだけで、加護は鼓動が早くなっているのを感じていた。(……本当に、連絡が来るなんて思わなかった……) 森久保悠人は、加護と同じ3年生、そして同じクラスだった。森久保が覚えているかどうかはわからないが、加護と森久保は3年間同じクラスで一緒だった。 柔らかな笑顔に端正な顔立ち、性格もよく優しい。それになにより、森久保は男子弓道部のエースだった。 運動ができる男子高校生は、花形のバスケやサッカー、テニス、野球などを選ぶことが多く、弓道部を選ぶ人は少なかった。加護は中学から続けている流れで弓道部に入部したが、同じ弓道部に森久保が入ることを決めたときは同じクラスから入部者が出たことで素直に嬉しかった。 森久保のフォームは初心者と思えないほど美しく、そして華があった。月に一度ある共同練習でも苦手な子や不得手な子にも丁寧に弓を教えていて、その姿勢と性格から同じ女子部員からも密かに人気があった。 加護が自然と森久保の姿を目で追うようになるまでさほど時間はかからなかった。 何度か告白されたという噂も聞いたことがある。けれど、森久保は誰とも付き合うことはしなかった。一人で優しく誰にでも平等──女子の人気は広がっていく。 どうにかなりたいと思ったわけではない、ただその美しいフォームを遠くで眺めているだけで加護は満たされていた……はずだった。 加護は袴姿の森久保のアイコンをタッチする。画面をスクロールさせて、少ないやり取りの一番上のメッセージを見た。もう何回、何十回と見たメッセージだ。〈急に連絡してごめん、弓袋破けちゃって新しいの買おう
美月は、スマホを手にすると顔に画面を近づけた。手の平に支えられた画面のなかでは、「白無垢の恋唄」の一文とその下に動画だけが投稿されていた。ユーザーのアイコンはなく、ユーザー名も数字とアルファベットを適当に並べただけのものだった。 動画が勝手に再生される。どこかわからない暗闇が映し出された。建物も人もおらず、街灯の明かりや星や月の明かりもない、ただ黒いペンで塗りつぶしたような映像だけが何秒か続いた。(何の映像? 意味もないただの暗闇?) 白無垢の恋唄の詩と同じように妙に引き付けられている自分がいた。意味も分からないはずの暗闇の映像で、音もミュートになっているのになぜか息遣いのようなものが聞こえてくる気がする。生々しい何か、気配のようなものが。 瞬きをする。と、白い何かが映った気がした。暗闇の中に微かに一瞬。その何かを見たとき、モスキート音のような耳鳴りがした。しかし、それきりで動画は終わってしまった。耳鳴りもいつの間にか消えている。「どうしたの、みーちゃん?」「……ああ、いや、なんでもないよ。返すね」 わざと指をスクロールさせて違うユーザーの投稿に変えてから、乃愛にスマホを返した。(よくわからないけど、今のはあんまりいい感じがしなかった)「ふーん……」 乃愛は返されたスマホの画面をじっと見た後、また机の端に裏返しでスマホを置いた。「まあ、いっか! どうみーちゃん、これならすぐに恋人できるでしょ!」「乃愛。そもそも、私、好きな人いないから。無理やり恋人つくるのも嫌だし。そもそも、それじゃあ何の解決にもならないって!」「うーん、そっかぁ。我ながらい
自信満々に手を上げる乃愛に、ストローを指で触る美月。数秒、二人の間に沈黙が流れた。「……いや、無理でしょ」「無理じゃない! このお呪《まじな》いならすぐにできる!」「いや、そういうことじゃなくて――」 乃愛のスマホの画面が美月にも見える位置に置かれた。「ほら、見てこれ。今、SNSで密かに広がっているんだけど」「いや、だから、そういう問題じゃなくて――」「実際に試した人がいるんだって。それでね、そのお呪いが」 美月は、額をおさえてため息を吐いた。何かに夢中になってしまうと誰の声も届かないことを美月は長い年月で身に染みるほど知っていた。(こうなったら、とりあえず話が終わるまで聞くしかない) 机の上で頬杖をつくと、美月はとりあえずスマホの画面を見つめた。誰かのアイコンと文字の羅列が延々と続いている。ただ、乃愛のふっくらとした指先でスクロールされていく文章には、一つの共通点があった。「永久《とわ》に先《さき》君《きみ》をば待《ま》たん暗闇《くらやみ》に花《はな》の塵《ちり》ゆく定《さだ》めとしても」「すごい! みーちゃん、よく読めるね」「うん、まあ……なんとなくだけど、そんなに難しい言葉じゃないから」 それは、短歌だった。五・七・五・七・七の計三十一音で組み合わされる日本の伝統的な詩。その短歌が、どの投稿者の文章にも綴られている。「これがね。お呪いなんだよ。お呪いの名前は、『白《しろ》無垢《むく》の恋唄《こいうた》』」(白無垢の恋唄?)